ドクタージャーナル15号
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8DoctorsJournalという症例を外国の専門誌に報告しました。これがこの認知症の最初の報告です。発見から7年が経過していました。世界に認められるまでは、苦闘の連続でした 1978年には、3例の剖検による大脳皮質に存在するレビー小体の研究を報告しました。その後、アルツハイマー病の発見者であるアロイス・アルツハイマーやレビー小体の発見者であるフレデリック・レビーがいたことのあるミュンヘン大学精神医学研究所を前身とするマックス・プランク精神医学研究所に客員研究員として留学しました。 その研究所において、ドイツ人のパーキンソン病の症例でも大脳皮質にレビー小体が多数認められる2症例を見つけて報告しました。これがヨーロッパで初めての「レビー小体型認知症」の報告となりました。1980年に提唱したレビー小体病は、全く認められなかった さらに1980年にはレビー小体病(LBD・注1)という概念を提唱しました。これは、前述の大脳皮質にも多数のレビー小体を伴う認知症や、パーキンソン病の上位概念にレビー小体病があるという考え方です。 つまりパーキンソン病はレビー小体病の一つに含まれるという考え方ですが、パーキンソン病という、既に有名な病気の概念を覆す報告であったため、この時には「レビー小体病」という概念は日本でも世界でも全く認められませんでした。それこそ、日本人の若い医師が何を言うかという感じでした(笑)。 1984年には、びまん性レビー小体病(DLBD・注2)という概念を提唱し、この病気は欧米で見逃されているのではないかという報告を出したところ、欧米でも非常に関心を持たれて調べられるようになりました。 特にイギリスでは注目され、幻視や妄想があることなどが判ってきました。1990年には、日本におけるびまん性レビー小体病という論文も報告しました。最初の報告から20年目で世界が認める 1995年には、イギリスに世界中から50人余りの専門家が集まり国際会議が開催され、そこで正式に「レビー小体型認知症」(DLB・注3)という名前が決定し、それが1996年にNeurologyという有名な科学雑誌に発表され、レビー小体型認知症の国際診断基準も発表されました。 最初の報告をした1976年から、実に20年目のことです。 さらに2005年に、第3回DLB/PDDワーキンググループが開催され、ここでようやく、パーキンソン病、認知症を伴うパーキンソン病、レビー小体型認知症をまとめて、レビー小体病(注1)という用語を使用することとなりました。1980年に私が主張したレビー小体病がやっと認められたのです。 レビー小体病が世界中で認められるまでにずいぶんな年月を要しました。その間、私の報告や論文が認められなかったことが何度もあり、悔しい思いもしました。 日本人の研究が世界で認められることの難しさを本当に痛感しました。

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