ドクタージャーナル14号
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 さまざまなところに行き、その土地の認知症の人たち、そして、その人たちを支えている大勢の人たちとも出会いました。 声を伝えるために、思いきっていろいろな場に出かけていったことで、自分のつながりや付き合いの幅が、認知症になる前よりむしろ広がっていきました。 しかし、良いことばかりではありません。 講演活動を続けていると、あるとき、知らない人から「売名行為はやめなさい」と言われて、とても傷つきました。 また、前向きなことを話すと、「困ったことや問題点はないか」と問い詰めるように聞かれたり、「認知症らしくない」と言われたりすることもあって、自分が一生懸命に生きようとすればするほど、世間から冷ややかに見られることが、苦しかったです。 「あなたは認知症ではないのでは?」「本当にアルツハイマー型認知症?」と疑われたことも、一度や二度ではありません。 不安になった私は、主治医のほかに、あらためて二人の専門医を訪ね、自分が「アルツハイマー型認知症」かどうか、診断してもらいました。 ここで、たしかに認知症であることが診断されて、むしろほっとしたような、奇妙な感じがしたものです。日本認知症ワーキンググループ発足 二〇一二年、NPO法人「認知症当事者の会」が設立されることになり、発起人として加わりました。 そして、この会の活動のなかから、認知症と生きる人による認知症と生きる人のための会「3つの会」が誕生し、その代表になりました(http://www.3tsu.jp/)。 「つたえる」「つくる」「つながる」という三つのキーワードの頭文字をとって、「3つの会」(つまり「つ」が三つ)。 「診断されたばかりの人。認知症と付き合いながら、暮らしをつくってきた人。認知症とともに生きるみんなが、声や経験を伝え合って、一人ひとりの暮らしをつくっていこう。そして、ゆるやかにつながりながら、社会へ声を発信しよう」という意味が込められています。 また、二〇一四年一〇月一一日には、「日本認知症ワーキンググループ」が発足しました。共同代表は、私と、中村成信さんと、藤田和子さんです。 認知症の人本人をメンバーとし、認知症の人と社会のために、認知症の人自身が活動していく、日本初の独立した組織です。 ワーキンググループの目的は、認知症になっても、希望と尊厳を持って、よりよく生きていける社会をつくりだしていくことです。 世界各国の「認知症ワーキンググループ」や、国内の関連団体と連携して、活動していきます。 ワーキンググループを発足させた私たちは、同年一〇月二三日に、塩崎恭久厚生労働大臣に面会し、次の要望を伝えました。 1.認知症施策等の計画策定や評価に、認知症本人が参画する機会の確保。 2.認知症初期の「空白の期間」解消に向けた本人の体験や意見の集約。 3.認知症の本人が希望をもって生きている姿や声を社会に伝える新キャンペーン。 塩崎大臣は、「希望と尊厳を大事にしながら暮らせる社会づくりに取り組む」と言いました。私たちの耳に声を傾け、ぜひ実現してもらいたいと思います。 私たちはこれからも、当事者の声を積極的に伝え続けていきます。医師へのメッセージ 医師の方にお伝えしたいのは、本人にとって、医師の言葉はとても重いものだということです。 ですから、「病名は何々です。予後は統計的にこうです」と言われるだけでは、「早期診断・早期絶望」になってしまいます。 私の場合は、いきなり告知されたので、心の準備ができておらず、頭が真っ白になりました。ものすごいショックでした。 告知の際は、段階的に伝えるなどの配慮が必要だと思います。予

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