Doctors Journal Vol.8
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15鈴木慶やすらぎクリニック院長鈴木 慶氏(54歳)最初から〝町医者〞を目指した 私が医師になった動機は一言で言えば、医師として尊敬できる父がいたということ、そして、その父が私を医者にしたかったという事です。私の人生の最後の目標は父に追いつくことです。追い抜くことなどできないと思っています。75歳で他界した父は、自らの死を悟りながらも直前まで医療の現場で患者さんの治療に取り組んでいました。そんな父の姿を見ていましたから、私は最初から患者さんに寄り添う〝町医者〞を目指して医学部に進みました。しかし医学部に入学した時から日本の医療体制には問題があるなと感じていました。 実は、医学部の6年生になった時に自分の行き先の病院を決める事ができませんでした。私は患者さんの全身を診る医者になりたいと思っていましたが、残念ながら自分の目標に合致する科が無かったのです。 当時はまだ医局制度が中心でした。しかし医局に入局してしまったら、その科の医師としてしか動けない。ローテーションもできないし、医者として幅広い経験を積む事ができないという環境でした。オールラウンドで患者さんを診ることのできる科が無かった。しいて言えば、救命救急的な科が救命救急という分野においてオールラウンドに患者さんを診ていました。 但し、脳卒中などの脳の病気だと全部脳外科に入院して診るので、それこそ患者さんは新生児から高齢者まで幅広く全部診なければいけない。脳卒中を診ることができないと全身を診る医者にはなれないと考えて、そもそも私にとって一番嫌いで苦手だったのがこの分野ではありましたが脳外科に入局しました。 当初は安易に2,3年と考えていたのですが、その後7年目に専門医をとった後も、総合病院の脳神経外科医長としての勤務や立川市内での脳神経外科の開設などで、結局20年以上脳外科の分野に携わりました。その後、平成18年に鈴木慶やすらぎクリニックを開業し現在に至っています。開業医のあるべき姿とは 常に私の中では、開業医はGPという意味からも、広く患者さんの全体を診る資質がなければいけないと思っています。GPがベースにあって、その上に自分のフィールドである専門性としてのスペシャリティがあるのが開業医としての理想の姿だと思います。 開業医のところには最初の門戸として何にもフィルタリングされていない患者さんが来ます。そこで、医師と患者の信頼関係、家族関係も含めて時には人生相談も受ける。自分が完結できる医療は完結してあげて、紹介できるところはきちんと紹介する。広く患者さんの全体を診て、自分のところで完結できる医療の範囲がある程度ある。たとえ完結できなくても、どの臓器のどの科のどの疾患であ昭和 59年 埼玉医科大学卒 脳神経外科入局平成 5年 武蔵野総合病院 脳神経外科医長平成 7年 立川若葉町脳神経外科 開設 院長 東京都二次救急に携わる平成 10年 医療法人社団 新緑会 理事長 老人保健施設など開設平成 18年 鈴木慶やすらぎクリニック開設平成 25年 鈴木慶やすらぎクリニックリニューアルオープン医学博士専門領域/脳卒中の外科治療 内科治療日本脳神経外科学会 評議員 専門医日本頭痛学会 専門医・指導医脳卒中学会 脳卒中外科学会

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